社労士と行政書士のダブル受験体験記

2023年に合格を目指すブログです。

★★★★ニッポンの創業者 童門冬二

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ニッポンの創業者 童門冬二

 

大変革期に求められるリーダーの生き方というサブタイトルで、

渋沢栄一

五代友厚

川田小一郎

根津嘉一郎

岩崎弥太郎

の五人を紹介しているが、次の一万円札の肖像画になる渋沢栄一氏の部分を読んだ。

 

幕臣として徳川慶喜の会計ブレーンをしていた渋沢氏は、幕末から明治の変革期にパリにおり、そこで株式と銀行を知ったそうだ。日本では 武士も食わねど高楊枝 的な考え方があって、商売が低く見られていたが、 外国では一国の国王が鉄の売り込みをしている ほど商売という存在が重要視されていた。やがて、その経験は 日本でバンクを始めたいという思いに変わる。

 

渋沢氏は 攘夷の風潮でも海外を色眼鏡で見ず、 日本が必要とする本質を見抜いていたと思う。

 

そして大隈重信の推薦で大蔵省へ入る。 当時、藩閥政治により薩長の優越した考え方があり、渋沢氏は政府の構造改革を決意する。

 

四民平等という世の中なのだから一部の人間が得をするものであってはいけない、と私も感じた。

 

大蔵省を離れた後日本で最初の銀行を設立する。 そこで渋沢氏は「論語と算盤」という考え方を重視する。 銀行は数字の管理が必須なのでそろばんの考え方は非常に重要だが、 同時に人としてこうあるべきと言う 論語の考え方も非常に重要である。その根底には和魂洋才、武士道を大切にしながらも西洋の技術を取り入れたいという考え方があったようだ。

 

近代国家をつくりあげるため、こういう偉人がいたことを胸に刻んでおきたい。